日本が誇る漫画家、手塚治虫の一生 #1

手塚治虫

2016/07/27 3724 VIEWS

ー出典元 名言 Quotes

手塚治虫

Osamu Tezuka

1928年11月3日-1989年2月9日

国籍:日本

職業:漫画家/医者

現在、日本のマンガは世界中に注目されるようになり、日本を支える大きな産業となった。
外国人と話すと、必ず盛り上がる話題の1つと言っても過言ではない。

そんな日本マンガの第一人者に、誰もが知っている通り、手塚治虫がいる。
今回は『日本が誇る漫画家、手塚治虫の一生』と称し、彼の一生をダイジェストしてみようと思う。

ここがポイント!
手塚さん

両親からの影響を受け、マンガに興味を持つ

手塚治虫は、大阪府豊能郡豊中町に、父・手塚粲と母・文子の長男として生まれた。
父は、住友金属に務める会社員で、カメラが好きなモダンな人柄だった。

当時、とても希少価値の高かったフィルム映写機も持っていたため、息子である治虫は小学校2年生から中学にかけて、日曜日には家にいながらチャップリンの喜劇映画やディズニーなどのアニメ映画を見ることができた。

さらに、父はカメラに興味を持つ前に、マンガにも非常に興味を持っていた。
自宅には200冊を超えるマンガ本が合ったとも言われている。

幼いころからそういった環境で育ったことから、いつしか治虫の興味の中心はマンガとなっていった。
しかし、チャップリンの喜劇映画やディズニーなどのアニメ映画のいわゆる海外作品のクオリティの圧倒されたのか、将来は漫画家よりもアニメ監督になるという夢を抱いていたという。


いじめられていた彼を救ったのもマンガだった


その後、大阪の小学校に入学した治虫だったが、最初に彼を待ち受けていた試練は、「いじめ」だった。
東京出身だったこともあり、関西特有の方言を話すことができず、周りの子供達からからは浮いている存在だった。
背も小さくて運動オンチしかも天然パーマだったため「ガチャボイ」とあだ名をつけられ、からかわれたという。

しかしながら、そんな状況を救ったのも幼少期より書き続けていたマンガだった。
小学3年生の時に、最初のマンガ「ピンピン生チャン」を完成させると、その後マンガの練習に取り組み、小学校5年生には長編マンガ「支那の夜」を完成させた。

もちろん、治虫のマンガの腕に驚いた周りの子供からは賛美の声が上がり、教師の間でも話題になったという。教師からもマンガを書くことを黙認されるほどにもなった。

マンガを書くことでクラスからも一目置かれ、またマンガ目当てにいじめっ子も手塚の家に訪れるようになるなどして次第にいじめはなくなり、誕生日には家に20人もの友人が集まるほどになっていた。

まさに一芸が彼の身を救ったのである。

中学入学時の年は、1941年。
つまり太平洋戦争が開戦した年であった。
そんな中でも治虫はマンガを書き続けたのであったが、体の弱いものが入れられる強制修練所に入れられ、学校に行く代わりに軍事工場に駆りだされりと、身体的にダメージの多い日々を過ごしていた。

中学校卒業後の1945年6月には、大阪大空襲に遭遇し、焼夷弾が投下されるも、なんとか生き延びた経験をした。この経験自体は、治虫の心に深く刻まれ、その後の作品にも色濃く反映されている。

その後は、大阪帝国大学医学専門部の試験を受け、入学。
これは正確には大学ではなく、戦争の長期化によって、医者不足が発生したため、臨時に大阪帝国大学内に創設されたもであったため、中学校卒業後でも入学が可能であったとのことである。

医学部に通いながらマンガ家デビュー


医学の勉強に勤しみながらも、少国民新聞の大阪版の4コママンガにて連載を開始、マンガ家デビューを飾った。

その後も、マンガの仕事が増えに増え、多忙を極めていった。
大学の単位取得が難しくなり、マンガと医学の両立を諦め、マンガ家一本に道を絞る決意をした。

しかし、治虫のスゴイところは、大学を中退したわけではなく、医学専門部はしっかり卒業後、大阪大学医学部附属病院で1年間のインターン経験を経たのちに、医者の国家試験にも合格しているという点だ。

つまり、彼は医者でもあるのだ。

自身でも自伝の中で、「そこで、いまでも本業は医者で、副業はマンガなのだが、誰も妙な顔をして、この事実を認めてくれないのである」と述べている。

終わりに

きっとどんな環境にあろうが、やり続けたいもの、無意識にやり続けていることがある人は、
必然的にその道を選ぶのだろう。

例えば、本メディアでもテーマとしている起業家。
彼らは恐らく、何度失敗しようとも、きっとまた起業をすると思う。
それは何かを変えようと邁進しているその環境が彼らにフィットしているからだろう。

これまで紹介してきたように、手塚治虫もその1人だ。
どれだけいじめられようとも、戦争中のどれだけ過酷な状況であろうとも、世間的には評価の高い医者とマンガ家、どちらかの道を迫られようとも、マンガを書くことを選択してきた。
これは何かを成し遂げた人の偉人に共通する点の1つではないだろうか。 


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