ディズニー映画はどのようにして生まれたのか

ウォルト・ディズニー

2016/05/13 7455 VIEWS

ーHappy Birthday, Walt Disney!

ウォルト・ディズニー

Walt Disney

1901年12月5日-1966年12月15日

国籍:アメリカ

職業:アニメーター・プロデューサー・映画監督・脚本家・声優・実業家・エンターテイナー

今や、「夢の国」と聞くと「ディズニーランド」と反射的に想像してしまうほどに、
ディズニーランドという場所は世界の人々にとって常識となりました。

日本全国民に聞いて回っても、ディズニーランドに足を運んだことがない人のほうが少ないくらいでしょう。

ではそんな魔法がかけられたようなディズニーランド、ディズニー映画はどのようにして生まれたのでしょうか。
誰が、どんなプロセスを経て、人々の頭の中に新しい国を作ったのでしょうか。

今回のタイムスリップインタビューでは、ディズニーの生みの親、ウォルト・ディズニーに突撃インタビューを実施し、創設までの物語を伺ってきました。 

ここがポイント!
ウォルトさん

アニメに感じた可能性

2回にわたるインタビューとなりますが、第1回である、今回は「ディズニー映画はどのようにして生まれたのか?」についてお伺いしていきたいと思います。
よろしくお願いします。

まずは「ディズニー映画」の話ですね。
ディズニーの始まりは兄と創った会社、「ディズニー・ブラザーズ社」からでした。 懐かしいですね。


なぜ兄弟で会社を設立したのですか?

私は、兄と一緒に「ディズニー・ブラザーズ」を設立するまでアニメを創るアニメータとして仕事をしていました。

私自身、その会社を設立する前にも、ミッキーマウスの生みの親である、アブ・アイワークスというアニメーターとアニメの制作会社を創り、アニメ制作事業をやっていたことがありました。
ですが、私達はどちらもいわゆるクリエーターで、制作することにだけ頭を使ってしまったがために、経営のことに手が回らず倒産してしまったんです。

一方、兄であるロイ・オリバー・ディズニーは生粋のビジネスマンでした。 僕らはやっぱり色々なアニメを創り続けていたかったので、そこで兄の力を借りたという経緯です。


倒産してもそれでもアニメを創り続けたかったということはそれだけアニメが好きだったのですね。

昔から絵を描くことだったりアートそのものに興味があったんです。
7歳の時には自分が描いた小さなスケッチを近所の人たちに売っていたこともありました。 独学だけじゃなくて、絵画教室に通って本格的に絵を学んだこともありますし、高校時代は、高校に通いながらシカゴ美術館付属美術大学の夜間に通っていたこともあります。

その頃は純粋に漫画家になりたかったんです。なので、漫画家としてとりあえず新聞でマンガを書く仕事をしていたのですが、実績もなにもない新米の漫画家に仕事を依頼してくれる人も少なくて苦労はしました。結局そこでも兄に助けてもらって、デザイン広告の仕事を紹介してもらいました。

ただその頃は、まだ静的ないわゆる絵画・マンガ止まりだったんですね。 動きが加わるアニメに興味を持ち始めたのは、カンザスフィルム社という会社でアニメーターとして働き始めたのがきっかけでした。 そこでセルアニメに大きな可能性を感じたのです。

奪われた自作キャラクター

それの後にアニメ製作会社を創ったんですね。
お兄さんの協力もあって、経営的な心配もなくなってうまく軌道に乗った、と。

確かに、うまくいきました、最初は。
でもその後はジェットコースターに乗っているかのごとく、波乱万丈でした。

会社設立前に兄と創った「アリスの不思議の国」の続編の制作から入った「ディズニー・ブラザーズ」は、少女子役の実写に、アニメーションを織り交ぜた「アリスコメディシリーズ」で一気に軌道に乗りました。
映画プロデューサーで配給業者でもあるチャールズ・ミンツという方の紹介で、「ユニバーサル・ピクチャーズ」との繋がりも得ました。 大元の会社は皆さんご存知の「ユニバーサル・スタジオ」です。

そこで私たちは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案し、オズワルドを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作したんです。
結果は、大ヒットで人気はうなぎのぼりでした。ここまでは良かったんです。

問題はこの後です。 大ヒットし、さらにいい作品を創りたいと思っていたのにも関わらず、配給業者から私達の会社が受け取る金額が上がらず困った事態に。

チャールズ・ミンツのもとへ制作費に関して、交渉をしに行きました。 すると、所有権がユニバーサル側にあることを突きつけられ、制作費を下げるよう言われたのです。 私がそれを拒否すると、なんとチャールズ・ミンツが私達の会社のアニメータの引き抜き工作を仕掛けてきたのです。 そして殆どのアニメーターがそれに応じてしまいました。

我々は自作のキャラクター、オズワルドとアニメーターをほとんど失い、またもや倒産寸前に追い込まれました。

だが私たちは諦めず、引き抜きにも動じず残ってくれたアイワークスと再建をかけて勝負に出たんです。 



出展:Disney Kids公式ホームページ

※オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット:ミッキーの前に描かれたウォルトらの最初の自作キャラクター。どこかミッキーとよく似ている部分がある.......。

ディズニー再建をかけて誕生したネズミ

まさに波乱万丈ですね。もしかしてそこで生まれたのが......。

そうです。お察しの通り、「ミッキーマウス」です。
起死回生の一発でした。
もちろん、勝負するならオズワルドを超える自作キャラクターが必要でした。 そこで私たちは、変化球を投げます。

オズワルドやアリスコメディの中でライバルとして度々登場させていた敵役のねずみを主役に抜擢しました。
ですから、ミッキーはもともと、敵キャラだったんですよ。笑
しかも最初のミッキーが面白いのは、今のような愛嬌満点のキャラクターではなく、悪ガキだったところですよね。タバコも吸うし、酒も飲むし、たくさんいたずらをする。そんなミッキーは今じゃ想像できないでしょうね。笑

ミッキーマウスの作品で有名なのは、「蒸気船ウィリー」かもしれませんが、あれは実は3作目の作品です。その前にも1作目に「プレーン・クレイジー」、2作目に「ギャロッピン・ガウチョ」がありますが、こちらがあまり知られていないのは、どちらも音のないサイレントなアニメ映画だったからだと思います。

それに対して、3作目の「蒸気船ウィリー」は効果音や音楽・音声を取り入れたクオリティの高い映画だったことから、人気が大爆発しました。
実はミッキーとミニーの声は私が演じていたんですよ。笑

アイワークスのミッキーの俊敏な動きを描写するアニメータとしての才能がなかったら、ミッキーは生まれていないですし、私達2人だからこそできた作品だと思います。

この作品によってオズワルドの人気も奪い取り、なんとか再建に成功したんですよ。 


出展:ディズニーブログ「じゃみログ」

※蒸気船ウィリー に登場するミッキー

ディズニー映画の裏側、ミッキー誕生の裏側にそんな物語があったんですね。
知らなかったです…!

ほとんどの人は知らないでしょうね。笑
先日公開した「ズートピア」で、長編アニメーション作品のみでも、55作品目となりました。
あのミッキーから始まったディズニー映画が今でもこうして楽しんでもらえていると考えると感慨深いものがありますね。



そうですね。裏側を知るとより一層、面白さが増してきますね。 ディズニー誕生に関してお話いただきありがとうございました。
第2弾では、みんなの夢の国「ディズニー・ランド」の誕生秘話に関してお伺いしたいと思います! よろしくお願いします!

はい、ありがとうございました。
「ズートピア」公開中なんで是非劇場に足を運んでくださいね!
次回もよろしくお願いします。


▼ズートピア予告編・あらすじ紹介はこちらから▼

出展:Disney Movie公式ホームページ


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