革命家のリーダーシップ#2

ナポレオン・ボナパルト

2016/04/21 3836 VIEWS

ー出典元 The telegraph

ナポレオン・ボナパルト

Napoléon Bonaparte

1769年8月15日-1821年5月5日

国籍:フランス(旧イタリア領:コルシカ半島)

職業:軍人・政治家

#1ではナポレオンの才能が開花するまでについて触れました。
まだご覧になっていない方は是非こちらを読んでみてください。

#1革命家のリーダーシップ

さて、#2である今回は、軍人ナポレオンから政治家としてのナポレオン、皇帝としてのナポレオンについて取り上げてみたいと思います。
ナポレオン法典・フランス銀行の設立と様々な改革を推し進めた彼の心中は一体どのようなものだったのでしょうか?

お話を伺ってきました。

ここがポイント!
ナポレオンさん

軍人から政治家への転身

前回に引き続き今回もよろしくお願い致します!
イタリア遠征で一役ヒーローになったわけです、そこからは政治家へと転身を遂げていますよね!? そこには一体どんなストーリーがあったのですか?

実はですね、政治家へとなる前にまた1つ遠征に行ったんですよ。
エジプト遠征ですね。

政府の指導者達はエジプト遠征に対して疑問に思っていたようですが、私からすれば、 フランスの敵は常にイギリスだと思っていた私からすると、エジプトを攻めることはちゃんとした理由があったのです。 どういうことかというと、イギリスの収益源はインドとの貿易です。そしてエジプトはそのインドとイギリスを繋ぐ地点だったのです。 つまりエジプトを支配することでイギリスの収益源を断つことができると考えたのです。

結果はどうだったのかというと、かなり劣勢の状況に追い込まれてしまいました。笑
イギリスの海軍が恐ろしく強かったので、フランス海軍はやられてしまいました。 船がやられてしまったので退路を断たれ、我々は孤立状態に。 そこで勢いになったイギリスは追い打ちをかけるように、一度崩壊した同盟をオーストリア、ロシア、オスマン帝国などと締結します。

エジプトだけでなく、フランスの国境周辺にも攻めこまれ、背水の陣状態でした。 政府と議会との対立も激しくなり、内政も悪化。
かなりまずいですよね?笑

そんなフランス国内の状況が私の耳に届いたんです。 そこで私が取った行動は、フランスへの帰還です。 確かに帰還命令が来たわけでもないですし、自分の軍隊を捨てて帰るわけですから軍紀違反です。 でも私はそこで、軍人としてではなく、政治家としての行動を取りました。


なるほど。軍人としては無責任だが、政治家としては責任ある行動だと。

フランスの国内の秩序が乱れているのに、戻らないわけには行かなかったです。 幸い、国民は歓声で迎えてくれましたよ。
そして私は、統制力・政治力を失い、国民からの信頼を失っている総裁政府を倒し、統領政府というものを打ちたて、権力を握りました。
今では、この出来事が「ブリュメールのクーデタ」なんて言われてるらしいですね。

政治家として推し進めた数々の改革

はい!世界史で勉強したことがあります!
実際にどういった政治を展開されたのですか?

私が行ったことは、大きく分けると
・外交
・フランス銀行の設立
・ローマ教皇との和解
・ナポレオン法典
・教育制度の整備
の5つですね。

外交はイギリスとの和平条約を結びました。「アミアン条約」です。

これで対仏大同盟は解体し、長年の宿敵であったイギリスとの和平を実現することができました。
フランス銀行を設立して、経済の安定を図ることもできました。
個人的にローマ教皇との和解は大きな出来事でしたね。国民の多くはローマ教会の信者だったので、国民に安心を届けることができたと思いますね。

そしてなんといってもナポレオン法典です。フランス革命の功績を未来永劫、残していくために、個人の自由と平等を綴ったものです。


ナポレオン法典は今やハンムラビ法典、ローマ法大全とともに、世界三大法典と言われていますよ!

それは光栄ですね!
徹底的に個人を尊重しましたからね。
今でこそ、当たり前の価値観かもしれないですが、封建制度が色濃く残っていたあの時代からすると 革新的だったと自負できますね。
私はフランス産業を創造したのです。

そして皇帝へ

英雄として讃えられるのが納得できました。

でも、私がそんなところで満足するわけがありません。そんな現状不満足な私は、ナポレオン一世として皇帝に就任しました。

ただ皇帝は世襲の地位なのえ、フランスの民主主義とは相反する概念です。なので、皇帝になるにあたって、ちゃんと民主主義に則り、国民投票をしましたよ。もちろん圧倒的に賛成多数でしたけどね。笑


皇帝になってからはどんなことをされたんですか?

僕が皇帝になったことを恐れてか、ヨーロッパ諸国はまた対仏同盟を組み始めたんですよ。本当に同盟が大好きですよね。そこからは戦いの嵐ですね。

トラファルガー海戦ではイギリスに敗れたものの、オーストリア、ロシアの連合軍をはじめとして、イギリス、スウェーデン、オスマン帝国以外の地域は支配下におさめました。ナポレオン帝国です。

イギリスはホントに最後まで粘られたので、ベルリンでベルリン勅令という大陸封鎖令を出しました。ナポレオン帝国下にある国々に対して、イギリスとの貿易を禁止する法律です。


ホントにヨーロッパ全部がナポレオンさんの色で染まっていく感じですね。

まあ、武勇伝はこんなところで、ここまでですよね、僕の時代は。
その後は適当にググってください。
あんまりうまくいかなったから話したくないだけなんですけどね。笑


わかりました。笑
改めて今までのお話を振り返ると、すごい偉業ですね。

あんなに貧しかった家庭に生まれてからあそこまで登りつめたことを考えると、人間に不可能なことなんてないんだなと思いますね。

他人の力を頼りにしてはいけません。
頼るべきはただ己の力のみです。

もしなにか成し遂げたいものがあるのであれば、自分を信じて突き進んでくださいね。きっと報われることでしょう。


エネルギーをもらいました!頑張ります!
2回にわたってインタビューにご協力いただきありがとうございました!

ありがとうございました。 


して、LIKEの最新記事をチェックしよう!

今、あなたにオススメの記事

アクセスランキング

話題のキーワード

すべてのタグを見る