革命家のリーダーシップ#1

ナポレオン・ボナパルト

2016/04/19 15960 VIEWS

ー出典元 博士のチャンネル

ナポレオン・ボナパルト

Napoléon Bonaparte

1769年8月15日-1821年5月5日

国籍:フランス(旧イタリア領:コルシカ半島)

職業:軍人・政治家

「ナポレオン」という名前を聞くと何を想像するでしょうか?

「革命家」「皇帝」などとリーダーとしての印象を抱く人が多いことでしょう。
中には、「3時間睡眠の男」などというイメージを持っている方もいるでしょう。

でも彼が何を成した男かを知っている人はどれくらいいるでしょうか?

今回も2回に分けて彼の偉業と知らなかった一面に触れてみたいと思います。 

ここがポイント!
ナポレオンさん

初めてのイタリア遠征-連戦連勝の秘密-


お時間取って頂きありがとうございます。
インタビューできるなんて思っても見ませんでした。 よろしくお願いします。

なんでも聞いてください!


早速なんですが、ナポレオンさんはイタリア遠征で大活躍して飛躍を遂げられたそうですね。 そこに隠された秘訣というか、なんというか…….
何が起こったんですか?笑

だいぶ大雑把な質問ですね。笑
確かにあそこが私の転換期ではあったことは間違いないです。
でもイタリア遠征の背景を知らないと何もわからないと思うので、そこからお話しますね。


はい、ありがとうございます。

あれは私が27歳ぐらいの時でしたかね。
当時はフランス革命が勃発し、王政が倒され、ルイ16世が処刑された頃です。 フランス国民が自由と平等を得たことによって、歴史の1ページが塗り替えられました。

フランスの封建制度が崩れたことに、自分の国の危険を悟ったヨーロッパの諸国は対仏大同盟を結成したんですよね。
今、覚えば、ホントにチキンですよね。

それで戦争ですね。フランス vs 同盟軍の。
そこで私はイタリア方面軍司令官に任命され、イタリア経由でフランスに向かってくるオーストリア軍を撃墜することを命じられました。

これがイタリア遠征です。 


ご丁寧にありがとうございます。
でも相手は同盟軍ですよね?兵力では負けていたのではないでしょうか?

確かに、兵力の数が戦いの行方を大きく左右するのは否定しませんが、兵力の数だけで勝敗が決まるわけではないですよね? 私
達も勝算がなければ遠征に出るなんてことはしないですよ。

ただ、私がそこでやったことはシンプルに1つです。「鼓舞」です。

一緒に遠征に行ってくれる兵士達にこんな言葉をかけました。

「攻勢に出よう。武器も食糧も敵地にある。敵領の民衆を圧政から解放しよう!われわれは革命軍なのだ」 とね。

イタリアの封建制度をも壊して、イタリアの国民たちにもフランスと同じような自由・平等を!と考えたのです。

フランスで国民が結集すれば王政が倒せることは証明したわけですよ。 それによって歓喜の渦に包まれている国民の姿を見ていた。

彼らは自由と平等を喜んでいた。 恐らくそれはイタリアの国民も一緒ですよね。

封建制度を嫌い、貴族を嫌って、フランスをどこか羨ましいとも思っている、ただバックにはオーストリア軍もついているので国民だけの力だけじゃ難しい、と考えたんです。

だったら一緒に戦いましょう!と。

結果、イタリアの人たちは私達を歓迎してくれました。
仲間を増やしたんです。 「武器も食料も敵地にある」というのはイタリアの国民が我々に物資を提供してくれるという意味です。

これが連戦連勝の理由ですね。負けるはずがなかった戦いでしたね。
最終的に敗北したオーストリアは、フランスと和約を結び、これによって、第一回対仏大同盟は崩壊しましたよ。


貧乏家庭に生を受ける

おおーそれはスゴイですね。 地の利を上手く利用して兵達の士気を上げたわけですね。
ナポレオンさんは昔からそういったリーダーシップを発揮してきたんですか?

全く。全然真逆の人間だったかもしれないです。

私はもともと貧乏家庭に生まれました。
余談ですが、フランス領に支配されていた、コルシカ半島というところで育立ちました。 そこはフランス領に支配されるまでイタリアの領土だったので、私はもともとイタリア系の人間です。

貧乏だったので出世するためには軍人になることが必要条件だった時代です。 フランスの法律上、将校になれるのは貴族だけ、平民は兵士と決まっていました。
不幸中の幸いか、私は、古い血統貴族の血を持っていたので、パリの士官学校に入学できたんですよね。 士官学校というのは、将校を育成する学校で、貴族しか入学できないんです。

そこでリーダーシップの話になりますが、どうでしょう、皆さんがリーダーシップを持った人と聞いて想像するのは、クラスでは声が大きくて周りに人が勝手に集まるような人じゃないでしょうか?

ところが、私は学校では無口で友達もできない目立たない子でした。
裕福な貴族の人間とはどうも馬が合わなかったんですよね。
イタリアの出自を持っているので、フランス語がイタリア訛りだとバカにされたりしましたし。

士官学校も「騎兵科」「歩兵科」「砲兵科」と3つの学部があったんですが、どう考えても、騎兵科が人気で華やかに決まってるじゃないですか。
でも私はできて間もない、一番不人気な砲兵科に進んだんですよね。
もう地味な学科ですよ。なんせ後ろで大砲を打つだけですから。笑

読書も好きだったので一人でいる時間が多かったです。

こんな感じでぱっとしない学生だったわけですよ。


それは意外です。 小さい頃からいわゆるガキ大将キャラかと思っていました。

全然そんなことないですね。 ただ学校の成績は悪くなかったんですよね。
現代では私の卒業成績が取り上げられていて、バカだバカだ言う人達がいますが、本当は4年かかる学校を11ヶ月で卒業したんですよ。

むしろ、あっぱれじゃないですかね?
うん、我ながらあっぱれだと思います。笑


フランス革命勃発-逃げずに便乗

それはあっぱれですね。笑 
では、そこからどうやってイタリア方面軍司令官に任命されるまで至ったのですか? 

それはですね、「チャンスに便乗した」んです。


チャンスに便乗? どういうことでしょうか?

私は士官学校を卒業して晴れて軍人になりました。
軍人になってから6年後、冒頭に言ったようにフランス革命が勃発したんです。 平民のクーデターですから、もちろん狙われるのは貴族ですよね。 革命が進むにつれて、フランス国外に逃げる貴族が増加しました。
なんせ国王が逃亡したくらいなので、そりゃ貴族も逃げますよ。笑
そして貴族が逃げるということは、貴族しか担えない将校の人たちも逃げるということです。 つまり、将校のポストがたくさん空いていったのです。

これはチャンスだ!と。
もちろん私も貴族です。一応ね。
ただここで私も逃げるわけにはいかないと思って、色々やったわけです。

一応、出来事の流れを説明しておくと、1792年に男子普通選挙による国民公会が召集され、王政廃止と共和制の樹立を宣言したんです。これはフランス第一共和政と呼ばれていますよね。国民公会では、革命に対して、急進的なジャコバン派が台頭してきたんです。
そのジャコバン派の流れに私も便乗し、ジャコバン派の独裁を支持する内容のパンフレットを自費出版しました。これで、ジャコバン派に近づき、リーダーであった、ロベスピエールの弟と知り合いになって、自分を売り込みまくりました。
さらには、ツーロンという港町を占領していたイギリス軍と王党派の反乱を撃退して、25歳で少将に昇進ですよ。


むやみやたらに攻めるのではなくて、時代の流れを汲みとって戦略的に攻めたんですね。

そうです。
ロベスピエールに関わったことで、逮捕されたこともありましたが、無事復帰。笑

極めつけは、ヴァンデミエール反乱という事件です。
これは、王党派がパリの中心部でおこした武装蜂起で、街のど真ん中でおきた反乱だけに、政府も鎮圧に手間取ったんです。
このときに、私はチャンスを貰って鎮圧を命じられました。
そこで使ったのが、士官学校で毎日勉強していた「大砲」です。 都会の真ん中で大砲を放つなんて危ないから誰もやろうとしなかったわけですよね。
でも私は勉強してたので割りと自信があった。
結局、使用許可をもらって、反乱を鎮圧したんです。

この功績で国内軍司令官に就任しました。
その後に行った遠征がイタリア遠征というわけです。

なんか全てが繋がりました。自分が持っているモノを生かすこと、ピンチはチャンスだと思って攻める姿勢を失わないことで将校まで辿り着いたんですね。

人には自分が持っているものがあるので、それを最大限生かすことはまず考えたほうがいいですね。
それに、何をやっていようが決して無駄にはならないという意識を持つことも大事です。
私も大砲を勉強していたからこそ、ピンチをくぐり抜けることができましたしね。 戦略も読書が好きだったから本を読んで勉強しました。
特に、『孫氏の兵法』は本当に勉強になりますよ、読んだほうがいいです。


その頃から『孫氏の兵法』は色々な偉大な方に愛読されていたんですね。
勉強になります。
それでは次回はイタリア遠征の後のもっと大きな功績についてお話きかせてください。

そうですね、そっちのほうをもっと聞いて欲しいです。笑
でも懐かしい話で楽しかったです。
ありがとうございました。 


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