ノーベル賞だけでは平和を成し得ない/インタビュー#2

アルベルト・アインシュタイン

2016/03/11 2814 VIEWS

ー出典元 誰も知らない歴史の雑学・豆知識

アルベルト・アインシュタイン

Albert Einstein

1879年3月14日-1955年4月18日

国籍:ドイツ生まれユダヤ人(アメリカ国籍)

職業:理論物理学者

「タイムスリップインタビュー」第2弾:アインシュタイン
#1では科学者になるまでの苦難、そして相対性理論発表までの出来事をお伺いしました。

#2では相対性理論の裏側と人生での後悔についてインタビューしてきました! 

ここがポイント!
アインシュタイン

相対性理論の源


前回は科学者になるまでの苦悩についてお話して頂きました。
相対性理論がアインシュタインさんの代名詞にもなっていますが、現代ではその理論はGPS機能に使われているんですよ。
ただ、私ちょっと頭が弱くて...相対性理論とは一体どんな理論なのですか?

んーそうですね、例え話をしましょうか。
熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい。
まるで1時間ぐらいに感じられる。

では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう。
まるで1分間ぐらいにしか感じられない。
それが相対性です。



なるほど…!わかりやすいです!

科学というと難しく聞こえる。
どれだけすごい理論を打ち立てても皆がわかるような例え話にできなくては伝えることができない。
伝えることができないということは価値がない。
なので私は出来るだけこういった例え話を使うようにしているんです。

6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えないですからね。



科学者だからこそ難しいことは分解する習慣があるのですね。
では、相対性理論を着想したきっかけは何なんですか?

あの理論を思いついたのは、大学の頃でした。
私は一人で空想するのが好きなんですけど、晴れた日の昼休みに、学校の裏にある丘で寝転んで物思いに耽っていたんです。

そしたらいつの間にか眠り込んでしまって、不思議な夢を見ました。
自分が光の速さで光を追いかける夢です。
ビビッと感じるものがあっていつも通りすぐ思考実験にとりかかったのを今でも覚えています。
それがあの理論を思いついたきっかけです。


私、昔から近未来的な小説を読むのが好きなんですよね
フィリックス・イバートとアーロン・バーンスタイン、この2人の作品は素晴らしかった。
大いに私の空想の世界観を広げてくれた。

イバートはある小説の中で「人類が光より早く移動できるようになったらどうなるか」を描いていました。
バーンスタインは、光より早く移動すれば歴史上の人物に郵便を届けることが出来るという何とも壮大な世界を物語にしていた。

相対性理論はこの2つの小説の影響を受けていることでしょうね。


世界平和へ寄せる想い

その相対性理論でノーベル物理学賞受賞。科学者として栄光を手にしたと思います。
一方で、やりきれなかったこと、悔いなどはございますか?

えっと、そうですね...2つあります。

1つはレオ・シラードの要請を受け、ルーズベルト大統領に原子力とその軍事利用について書いた手紙に署名したことです。

私は平和主義者です。
兵役に関して言えば、どんな状況でも拒否すべきだと主張していました。
兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。 なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。
誰も兵役、戦争なんて望んでいない。


そして、科学者である私は、原爆が人類にとって恐るべき結果をもたらすことを知っていました。
しかし、ドイツでも、原爆開発に成功するかも知れないという可能性が私にサインさせたのです。
戦争をするにも条件が存在します。
私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合です。
あんな事態になることを想像して手紙を書いたわけではないのです。

日本に原爆が落とされた時、私の敵、ドイツ・ナチスはもう降伏していました。
日本はまだ降伏していなかったものの、アメリカ軍が沖縄を突破して、本土に上陸するとなると、日本の降伏は見えていたはずでした。
それ以上は何もする必要がなかったはずだったのに。

私はいきなり恐怖に襲われて、もう一度、シラードと一緒にルーズベルトに手紙を書いたんです。
でもその手紙がルーズベルトのもとに届く前に、彼は亡くなってしまった
もしもヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年に発見した公式は破棄していたでしょう...。


新技術が必ずしもいいことに使われるとは限らないですが、今も昔も、科学者たちは自身の発明・理論がいいことに使われることを願っているんでしょうね。

はい、もちろんです。

この大きな事件を通して、原子力エネルギーの利用を人類に役立つ形で、かつ、それについての知識と情報を普及せしめる方法で進めていく必要性を痛感しました。

それは、原子力エネルギーに関する情報を入手した一般市民が、自身と人類の利益に役立つ形での行動を理性的に決定し、形成できるために必要なんです。

原子科学者緊急委員会という組織に短いながらも在籍していた際に、議長を務めたことがあったため、今申し上げたことは憲章に残しています。

戦争は終わったがそこに平和が生まれたわけではなかったため、私はできるだけ報いようとしました。
日本には何度か訪れたことがありますが、日本の独特の文化にはひどく感動した覚えがあります。

それが余計、私にやりきれない思いを募らせ、より一層世界平和を懇願する想いが強くなりました。


それで戦争後の平和活動に精を注いだんですね。
ラッセル=アインシュタイン宣言は歴史上の大きな出来事として語り継がれています。

あれも大きな出来事でしたね。
私は、世界が平和へと向かうためには、法律に基づき、国家の安全を保証するし、国家を束ねる超国家的機関が必要だと考えていました。

「世界政府」です。

当時は国際連合が設立されて1年経つか経たないかくらいの年でしたが、早々に国連総会に世界政府樹立を提唱しました。


人の価値は与えたもので測られる


あの提唱にはそういった経緯があったのですね。
ところでもう1つの悔いとは何ですか?

そうですね、できるだけのことはやろうと思い…。
もう1つは人種差別をなくす事ができなかったことです。
私はこの通り、自由な人間ですし、ユダヤ人だったこともあって迫害されること・圧迫されることの苦しみを知っています。

なので、アメリカに来た時に見た黒人差別には大変驚きました。
「自由の国」と称しながら自由を享受できてない人がいた現実。

私は友人であり、ファシズムに対する憎悪を共有していた歌手のロブソンとともに、人種差別解消へと奮闘しました。

結果的にどれだけ貢献することができたかは分からないですが、今、アメリカ合衆国の大統領を務めるのはオバマさんということもあって、前進している現状を見てホッとしています。

来日した際も人力車を薦められて乗車を断ったことがあります。
もしかしたら立派な文化なのかもしれないけれど、私には奴隷的労働に見えてしまったため、乗ることはできませんでした。

幼少期から通じて小さなことから大きなことまで私自身がそういったことを経験してきたので、敏感なんですよ。


科学から人種差別、世界平和への貢献までとてつもない影響力だと思います。

私が決して自分自身のことを価値高い人間だと言うつもりはないですが、
「人の価値は、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。」 と信じています。

私は、科学・平和に対してでした。
あなたはこれから誰に対して何を与えるのでしょうか。

与えられたその分だけ、それがあなたの価値ですよ。
まだ若いので頑張ってくださいね。


はい、心に刻みます。
2回に渡ってインタビューにご協力いただきありがとうございました!

楽しかったです。
ありがとうございました。 


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