空想をリアルに/インタビュー#1

アルベルト・アインシュタイン

2016/03/09 3276 VIEWS

ー出典元 Peru21

アルベルト・アインシュタイン

Albert Einstein

1879年3月14日-1955年4月18日

国籍:ドイツ生まれユダヤ人

職業:理論物理学者

「タイムスリップインタビュー」第2弾は学者として名を馳せたアインシュタインです。

第1弾にて紹介してエジソンは発明者として人類の未来を作りましたが、アインシュタインは物理学者として人類の未来を作りました。

「アインシュタイン」といったら「相対性理論」という言葉が出てくるほど、彼の打ち立てた理論は
今なお破られることのない大きな功績として残り続けています。

相対性理論は現代では、GPS等に活用されています。

車のカーナビ、Google Mapなど正確な地図が表示され、移動が便利になったのは彼のおかげでしょう。

IQは160を超えるとも言われている大天才が振り返る過去はいかに…!

インタビューを2回にわけてお届けします! 

ここがポイント!
アインシュタイン

私は「天才ではない」

大天才にインタビューできるなんて光栄です。緊張していますが、よろしくお願いします! まずはじめに、なぜ科学者を目指したのですか?

よろしくお願いします。
初めに言っておきますが、私は天才ではないですよ。
ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけです。
それが「科学・物理」だったということだけです。



えー...アインシュタインさんならなんでもできそうな印象があります...。

うーん、それは偏見ですね。
人間、なんでも出来る人なんていません。
私は、話し始めるのが遅かったですし、人と付き合うのがとことん苦手でした。

国民学校、日本で言うと「小学校」と言うのですかね。
そこに通っていた頃は、周りと馴染めず友達と一緒に遊ぶことはしませんでした。 9歳になった頃、ミュンヘンのギムナジウム、これは面倒なので中学校と高校が一緒になったようなものだと考えてください。そこは、本当に嫌でたまりませんでした。
統一後間もないドイツ帝国の軍国主義的な教育です。厳格な規律と権威主義。 教師は軍人のように、むちを振るって隊列を組ませました。

私はどうにかして逃げ出したいと思って、医者のところへ行き、神経衰弱に苦しみ、すぐにも学校を離れる必要がある!という旨の診断書を一通もらってきましたね。

その後はイタリアに逃亡!
こういうことを言うと根暗で変なやつだと思うことでしょう。



そんなこと思わないですよ!お気持ちは分かります。
ただ、確かに一般的に見たらそう思われるかもしれないです…。

そうでしょう、否定はしませんよ。
子供の頃の話ではないですが、イスラエル大統領への就任要請がもらったことがあるんですね。
ただ私には国民を適切に扱い、公的な役割を実行するための、当然の適性も経験もなかったので辞退しました。
私だってなんでも出来るわけじゃない。

ただ、数学と物理は好きでした。
どれくらい好きかと言うと、教室で一人でニヤニヤしてしまうくらい。
そのことでちょっとしたエピソードを思い出しました。

ある日、学校の先生が、私に対して、 「もし、きみがクラスにいなかったらもっと幸福だろうに」と言ってきたんです。
私は正直そう言われる理由が分からなくて言い返しました。
「私は何も悪いことをしていません。」とね。 先生の答えはこうでした。
「それはその通りだ。しかしきみはうしろの列のそこに坐って、ニヤニヤしているが、それは私が、クラス全体から得る必要がある尊敬の念をおかしているのだ。」

私は全くそんなつもりはなかったのですが、自然と笑みが溢れてしまうほど好きだったんでしょう。  

9歳の頃にピタゴラスの定理を知った時はもう時間を忘れて証明しにかかりました。 12歳の時には叔父からユークリッド幾何学の本を譲り受けて自分で勉強しましたし、微積分もその頃に勉強していましたね。


あ。他に好きなことといえば、音楽。
モーツァルトが好きで、小さい頃からバイオリンを弾いてましたが、天才的にうまかったわけではないです。
仕事に出来るほどでもなくて、想像力を広げるための趣味でしたね。 


科学者になるまでの苦難

うーん…深いですね。
どうしても自分の得意なことだけに張る勇気は出てこないですからね。

「科学」が好きだったとはいえ、科学者になるまでの道のりは長かったですよ。
大学にストレートで入れたわけではないですし、すぐ研究者になれたわけでもないです。


それは意外です!小中高以降は科学者までトントン拍子なのかと思っていました。
詳しくお聞かせ頂けますか?

チューリッヒ工科大学を受験したのですが、失敗しました。
やっぱり数学と物理は得意だったんですけどね、それ以外が全くダメで。

でも、この2科目がなんと最高得点だったらしく、特別に大学進学のためのギムナジウムに通うことを条件に翌年度の入学を認めてもらいました。



最高得点...苦笑

でも大学に入れないのじゃ意味がないので... ギムナジウムに通って翌年に大学へ入りました。
大学では教授と馬が合わないことが多々ありましたね。

大学を卒業しても物理学の学長と仲が悪かったので、大学の助手にもなれませんでしたし、教員免許を持っていたけど、仕事も見つけられなかったので、保険外交員、臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトで収入を得つつ、論文の執筆に取り組みました。

その後は、縁あってスイス特許庁で審査官として働き始めました。
特許庁というだけあって、様々な発明品の特許申請が送られてくるんですよね。

それは私にとって大変刺激的でした。
なんと言っても、書類にはたくさんの発明理論や数式が詰め込まれているんです。
すぐ科学者にはなれませんでしたが、今となっては特許を審査する仕事に巡り会えたことは悪くないなと感じますね。 

どんな環境をも研究室へと変える


思い通りに行かない局面があっても科学とだけは向き合ったということです...!
 それで迎えたのが「奇跡の年」なんですね。

「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの論文のことですね。

今あなたは「奇跡の年」と仰っていましたが、私にとっては「奇跡」なんかじゃないです。
頑固な性格も寄与しているとは思いますが、ずっと証明できると信じていましたから。

特許庁で働いている時に、「君ほどの人物が大学に残れないのは納得がいかない」と同情してくれた方もいましたが、研究は大学でしかできないわけではないし、お茶を飲みながらでも議論は出来る。

私からしてみたら、どこでも立派な研究室になるんです。
思考実験はどこでもできる。
そして、人間が頭で考えることは、すべて実現可能なんですよ。
私がそれを証明してみせました。

誰が私の空想を信じただろうか。 きっと信じていたのは自分自身だけ。

私はただ人より劣っているものが明確で、その分好きなこと、得意なことが分かりやすかったために、得意なことに集中できました。

もっと皆さん自分が持っている潜在的な能力に目を向けて見ていいと思うんです。 繰り返し言うようですが、私はそれが「物理」だったというだけですよ。



場所や環境を言い訳にせず自分を信じて進むことが大切だということですね。
次回はその「相対性理論」を着想したきっかけについてお聞きしたいと思っているのでよろしくお願いします。
ありがとうございました!

ありがとうございます。
次回もよろしくお願いしますね。 



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