真の技術者としての心得/インタビュー#2

トーマス・エジソン

2016/02/19 10220 VIEWS

ー出典元記載

トーマス・エジソン

Thomas・Edison

1847年2月11日-1931年10月18日

国籍:アメリカ合衆国出身

職業:発明家・起業家

前回の#1に引き続き、今回も#2としてエジソンのインタビューをお送りします。
小学校を中退し、母親のサポートのもと、自身の好奇心から実験を繰り返していた幼少期。

青年期になると転機が訪れたと述べるエジソン。
青年期からあの電球の発明までの道のりについてインタビューしてきました。

ここがポイント!
エジソン

初めての発明は仕事をサボるためのもの

今回もよろしくお願いします。 前回、お聞きできなかった青年期のお話から入って行きたいと思います。
青年期に転機が訪れたとおっしゃっていましたよね?
あれ、今日は少し機嫌が悪いんですか...?

いえ、考え事をしていたもので。
ちょっと顔がムスッとしていますが、気にしないでください。

それより、青年期ですよね。そうです、転機が訪れました。
15歳の時に、働いていた鉄道の駅で、まだ幼い駅長の息子が汽車にひかれそうになったのを助けた事があったんですよ。
そのお礼として、駅長から電信の技術を教えてもらって。
そこからですね、僕が技術者としての人生を歩み始めたのは。



電信の技術者として働き始めたんですね。
エジソンさんならまた何か発明しちゃったんじゃないですか?

もちろんです。ただまた怒られましたけどね。笑
電子技師として働き始めしばらくしたころですね、17歳くらいだったかな。
僕は夜間の仕事をしていました。
夜間の仕事の内容が、技師が夜間に寝ていないかを1時間おきに知らせるために信号を送るという退屈な仕事だったんですね。
さすがに飽きちゃったので、時計を使って電信機が自動で電信を送る「自動電信返答装置」を発明しました。


なんでそれで怒られちゃったんですか?

電信を機械に任せて僕は寝ていたんです。笑
あまりにも正確無比な電信を不思議に思い、様子を見に来た上司に結局怒られちゃいました。
とんだ結末ですが、これが僕にとって最初の発明でした。


立派な発明でも喜んでもらえなければ無価値

なるほど、ずる賢いですね。その後はどうですか?

そうですね、2つ目の転機がありました。
僕、21歳の時に初めて特許を取得したんですよね。
特許の内容は、電気投票記録機に関するもので、議会で賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計して、投票にかかる時間を大幅に短縮できるっていう画期的な発明!だと思いません?思いますよね。

僕もそう思っていたんですが、残念ながら「少数派の議員による牛歩戦術ができなくなる」という理由で全く採用されませんでした。

僕はこの苦い経験から、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないなということを痛感して、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになりました。 「人々が欲しがるものを作る」ということです。


失敗から学んだのですね!それにしても今おっしゃっていただいたことは現代でもよく言われてることですが、技術者の方でそういう姿勢を持たれている方はまだ少ないですね。

技術者こそ持たなければならない姿勢ですよ。
決して自分のエゴでモノ作りをしてはいけない
僕はこの経験から得た学びを「真の技術者としての心得」として心に刻みました。
そして翌年、22歳になった時に株式相場表示機を発明したんですね。
業界からは大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出もありました。
初めは、5000ドルほどで特許権を売るつもりだったんですけどね、実際には4万ドル(約2億円相当)で買い取られました。
心臓が飛び出るかと思いましたよ。笑
その後は、みなさんご存知かと思いますが、電球作ったり蓄音機作ったりしましたね。


圧倒的な努力量で成功が決まる

ものすごい大金ですね。笑 
ズバリ、エジソンさんが考える成功の秘訣ってなんでしょう?

努力没頭の2つにつきます。
僕のことを特別な人間だとお思いの方もいるかもしれませんが、僕は幼少期も学校に通わずとも図書館で独学しましたし、電子技師になってからも、自力で色々な科学雑誌を読破して学び続けました。

耳が不自由になったこともありますが、そんなことにも負けず、学び続けましたね。
発明の為の研究に関しては昼も夜も関係なく、時間を忘れて没頭し続けました。

普段の睡眠時間も30分程度の仮眠を1日数回、合計3時間ほどしか取っていなかったですし、ほぼ24時間体制で仕事をしていたので、周りからは「エジソンの研究所の時計には針がない」と言われたこともありました。笑

僕の若い頃には、1日8時間労働などというものはなかったんですよ。
僕が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずです。
それは年齢に関係なくです。 80歳を過ぎても「僕にはまだやらなければならない仕事があるから、少なくともあと15年は働かなければならない」と思っていたので、1日16時間のペースで仕事を続けてました。

僕って仕事への没頭っぷりはすごくて、ひとつの物事に熱中すると、他の事は完全に忘れてしまうことが結構あったんですよね。
話しかけてきた妻に「君はだれだっけ?」と言ってしまい、妻を怒らせたこともありました。笑


努力と没頭ですか。まだまだ僕も努力の量が足りないと痛感します。
変な質問かもしれませんが、人生でうまくいかなかったことってあるんですか?

たくさんありますよ!!

僕、飛行機を作りたかったんですけど、安全面の問題から断念せざるを得えませんでした。
結局、ライト兄弟に先を越されたという後悔もありますし。

あと、発電所に納入する発電機をめぐる戦いでも負けてしまったので、Edison General Electric Companyに出資し株の過半を持ち実質上のオーナーとなっていたJ・Pモルガンから見切られたこともあります。

もともとは自分が設立した同社の社長の座を失って、会社とは無関係にされ、社名から自分の名前も消されるという屈辱も味わいましたよ!


飛行機を作ろうとしたこともあったんですね…!初耳でした。笑
そうやってたくさんの失敗もあり乗り越えてきたわけですね。
それでは最後に、現代の若者に対してメッセージをお願いします。

「天才は1%のひらめきと99%の努力である。」
何事にも没頭し、努力し続けることを忘れないでください。


最後に名言…!
2回に渡り、たくさんのお話をお聞かせいただきありがとうございました!

ありがとうございました。 頑張ってくださいね。



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